自分を証明する・・・な!

ある4月の肌寒い日、それまで春の陽気が続き、朝晩の冷え込みもなく、もしかしてそのまま初夏の陽気に突入するんではないかと思いきや一転、肌寒くて早朝や夕方の通勤時にはしまいかけていた厚手のコートが必要になるようなそんな4月のある日、を想像して欲しい。


当店では季節感を意識してメニューを決めている。魚でも野菜でも旬には安くて良いものがたくさん出回るため、旬のものをメニューに取り入れることはとても合理的で、何よりお客様に喜ばれる。

もちろんメニュー決めの基準は季節感だけではない。仕入れたお酒に合わせてみたいなと思う食材・料理を取り入れることもあるし、その日に来店しそうなお客様を想定して作るメニューもある。それでも大事なのはやはりその日の天気や気温や湿度、人々の食欲や嗜好に影響を与えるもっとも身近な条件といっていいだろう。


朝からのしとしと降る雨、日中も気温は10度以下、誰もが冬の記憶を一瞬呼び覚ますような肌寒いある日のこと。

寒さのなかと雨天にやって来るお客様の体は冷えきっているに違いない。そうなると今日は暖かいメニューだな。おでんに旬の竹の子と蕨の小鍋、仕入れ先でこの時期見かける白海老のかき揚げなんかもいい。定番の焼売の代わりに体を暖める水餃子がいいかも。生もとの熱燗と合わせればもう最高だ!・・・と頭のなかで考えながら、あるいは実際にぶつぶつと呟きながらその日は仕入れに向かった。


開店時間となっても弱い雨が降り続き、気温はさらに低下、あったかメニューはそこそこ充実、これで気持ちよく燗酒を飲んでもらえるだろう。


7時前後だったろうか、一人のお客様が空いていた僕の前の席に座った。

席に座るなり「熱燗もらえる?」とお客様。

僕はやや軽めながらもしっかりした酸で食を誘う「杉錦」を湯煎。お酒を飲みながらそのお客様は穴の空くほどメニューを注視、その間約10分。熱燗を飲まれる方はあたたかい料理をご注文してくれるだろう、昼間準備した肌寒い日に食べたくなるようなメニューに嵌まってくれるだろう、そう思っているとそのお客様はボソッと呟いた。

「湯豆腐なんかはないのか」


大学時代にサークルでジャズをやっていた時、僕の演奏(当時僕はテナーサックスをやっていた)を聞いた先輩に

「自分を証明しようとしたらダメだ」

と言われたことがある。

「こんなに早く弾ける」「こんなに上手いんだ」と前面に押し出された自己主張は音楽性を何ら高めはしない。音楽性をむしろ壊してしまい、聞くに堪えないものにしてしまう。

もちろんこれは先輩の言葉ではなくあるジャズミュージシャンの受け売りだったわけだが、その当時はなるほど自分は何かを証明しようとしていたかもしれないと思った。


確かに「俺ってすごいだろ」とか「私って可愛いでしょ」と直接の、または言外のメッセージを発している人ほど「痛い」ものはない。


これは当店のような「個人」の店も同じ。個人店としてオリジナリティーを出そう、すなわち存在証明しようとしてしまうと、実際のお客様のニーズからどんどん離れていってしまうということにならないだろうか?


「新奇さなんて要らない、ただお湯に豆腐が浮かんでればそれでいい」

いや、正にまっとうな意見ではないか。熱燗に湯豆腐、確かによだれのでる組み合わせだ。


「自分を証明しようとしたらダメだ」

20年ぶりにこの言葉に考えさせられた。