夏の終わり(2)

(前回の続き)

もともと高校野球をあまり熱心に見る人間ではない。数年前に母校が甲子園を沸かせたときも、結果だけはニュースでみるといった程度の関心しかなかった。


いや、むしろ選手たちの坊主頭が象徴するものへの嫌悪感があったと言っていい。

絶対的な規律・上下関係の中心に位置する監督の体罰や恫喝も辞さないといった怖そうな顔、勝つことが至上命令とされているエリート校選手の表情にうかぶ必要以上の緊張感、美談を伴ってリポートされるアルプススタンドの自己犠牲的な応援の姿、攻守交代時の全力疾走が示す大会運営側の権力、・・・

かなり皮肉目での視点であるわけだが、これら甲子園を甲子園たらしめている要素に近年どうも耐えられなくなっていた。


それがどうだろう、今夏の甲子園でテレビに映る選手たちはそれが初期設定であるかのように笑顔を浮かべ、時にはあるいは選手によってその笑顔はだらしなさを感じさせるくらいの自然体。今の選手たちが甲子園という大舞台でも臆することのない世代なのかもしれないが、ミスしちゃいけない、打たなきゃいけないといった、選手たちを追い込む空気感は以前より希薄に感じられた。(ここぞというときにみせる一塁へのヘッドスライディングにしろ、「ヘッドスライディングをしなければいけない」という空気を読んでというよりは、もっと自然にしているように感じられた。)

その自然体が試合にも現れているようだ。選手を駒のように扱って勝利に徹する、つまり見ててつまらないような采配をするチームは少なかったように思う。むしろ監督の采配ミスをきっかけに、ミスをしたチームの選手たちが逆に奮起するゲームもあった。また選手がエラーをしても周りが自然にフォローするから、その選手はその後ミスを引きずらない。だから一つのミスから試合が崩壊してしまうこともない。そして下位打線も活躍する。どこから試合が動くのか予想がつかないという甲子園の醍醐味は以前より増しているように思う。


ベンチを写すカメラにも楽しませて貰った。記録員として「クラスのアイドル」ほどのルックスをもつ女子生徒がベンチ入りしている姿を見たのも私は今年がはじめてだ。本来はしかつめ顔をしているはずの監督も、「アイドル」の横にいる彼の表情は柔らかく、そのせいか休日に草野球をするただの中年おやじに見えなくもない。女子の存在が明らかにベンチを和やかにしている。(グラウンドに出ることはまだ禁止されているのだろうか?)


今年甲子園の舞台で私が見たのは、本当に野球を好きでやっている高校生たちの姿だ。「野球バカ」どもと言ってもいい(もちろんいい意味での「バカ」)。

人生を心底楽しんでいる人を見て私たちは「~バカ」と呼ぶ。「バカ」は小利口な人間より人を幸せにするようだ。だけど家族は迷惑しているなんていうのもよく聞く話だが。