中年の危機

「N-BACK」というスマホのアプリをご存じだろうか?


「アルファベットの音声」と9マス中の「マスの位置」が同時に呈示されていき、2つ前(難易度によって3つ前・4つ前となっていく)に呈示されたものと一致したときにボタンを押すという脳トレアプリだ(ゲームではないのかな)。

やってみるとかなり難しいということに驚くと思う。2つであっても集中しなければ高得点はとれないし、3つになると途端に途方に暮れるほどの難易度となる。固い頭をストレッチする感覚で少しずつ取り組んでいかないとなかなか4つにたどり着けない。


この「N-BACK」によって鍛えられるのは「ワーキングメモリ」と呼ばれるもので、これは読み書きや計算など日常の作業の際に必要な情報を一時的に記憶しておく能力のこと。

長い小説を読んでいて登場人物がなかなか覚えられない、譜面の先を見ながらピアノを演奏をするのがつらくなった、自分が仕入れたお酒を把握できなくなった、・・・こんなことを僕は最近よく感じるので、あるお客様から聞いたこの「N-BACK」をはじめたというわけだ。


このような衰えから僕は「中年の危機」という言葉を思い浮かべる。


「こんなはずじゃなかった」という感覚になることがなんとなく多くなってきたかなという、あまり差し迫らない(あるいは見て見ぬふりができる)危機感であったはずのものが、「アイデンティティーの危機」だとか「人生を見つめ直す分岐点」などと大げさな言葉で煽られる危機感となりつつある年齢となってしまったようだ。


世間に溢れる「ここでどういった生き方を選択するかが将来の貴方の幸不幸を決めるのですよ」というメッセージは、3歳児から大学生まで、20代から30代の社会人、はたまた胎児にまでとかなり汎用性にすぐれたものであるわけだが、このメッセージが届くぎりぎりでありながら最もマーケティング効果を発揮するのが中年に対してであるようだ。(老年前まではすべて中年と言っていいと思う。つまり40~60歳前後まで。)

肉体的なコンプレックスを克服して自信を持たせ、さらには成功哲学にまで昇華しようというスポーツクラブやマラソンブーム、中年の主婦を集めて開かれる料理教室、「大人の~」という接頭辞がつけられる高級なアイテムやレストランやリゾートなど、マーケティングの成功例はいくらでもあげられる。「中年の危機」を楽しく過ごす方法には事欠かないのだ。


日本酒、特に燗酒が「大人のたしなみ」の文脈に組み込まれている現状を見ると複雑な気持ちにならないでもない。個人的には、たしかに燗酒は世間の喧騒から離れてしみじみとゆったり味わってほしいと思っているのだが、結局は『おとなの週末』あたりが提唱するライフスタイルのひな形にはまるという目的のための手段としか思われていないという現状に。