日常(2)

ドキュメンタリーの中で大坂なおみは、練習の風景をバックに、プレー中の自らの心理状態をこう語っている。

 

プレー中の頭はロボットのよう

タイムカードに打刻し働く感覚

ただし試合の勝利が日常業務

 

メンタルの脆さが目立った大坂がある時期から比較的安定した活躍を見せるようになった背景には、練習も試合も地続きに「日常」と考えることにあったのではないだろうか。試合ごとに追い込まれる限界状況を、日常生活の一場面と捉えるある意味「鈍感さ」が、繊細過ぎる感受性を持つ彼女には必要なことだった。

 

人の自己実現はこの「日常」でしかなされえない。だからこそ人それぞれに「日常」があることになる。

 

コロナ禍での「新しい日常」が提唱されているが、これが為政者による圧政でないと誰が断言できるだろうか。そして、「非日常」としてのオリンピック開催は、限界状況でコロナ治療に従事する医療関係者にどれだけ「鈍感さ」を強いるのだろうか。